日頃私たちが生きている世界は、生まれたときから様々なものに囲まれています。空間にある空気でさえ、目には見えない酸素が存在しています。 母親の胎内にいる時は、殆どが頭を下にむけているにも拘わらず、血が頭に上るということが起きません。子宮の中では上も下も右も左も無く、へその緒で母親から栄養を貰い酸素を貰い、母親の胎内で母親の一部として生きています。 時期が来て、狭い産道を通って外に出るとその瞬間、もう母親の一部ではなくなり、多くのものに取り囲まれて生きていくのです。 だから無というものが、どういうことか想像することは極めて難しいと思う。無とはどういうことか色々と想像してみるが、しかしそこには既に、想像と思考というものが存在する自分自身がいるのです。 例えば転倒し、頭を打って気を失っていたとしましょう。目が覚めたとき誰かに「気を失っていた時ってどんな感じ?」と聞かれても分かる筈が無い。つまり無とは、なんとなく気を失っていた状態。 その無の状態から意識が芽生えた それこそが神の目覚め 神は自分自身に目覚めたのだ しかしそこには何も無かった そこは無であり、しかもそれが全てだった それは果てしなく続いた 神は自分を知りたかった 全てを知りたかった 神は自分を知るためには、自分以外のものが必要であることに気がついた そこで神は無である宇宙の全てを抱きかかえ、それを一気に手放した すると風が起こり、眠っていた神の細胞はくるくると円を描き、いくつかの巨大なエネルギーポケットが形成された。 風は電気的エネルギー 風が起きたことで極性と磁気が生まれた 雷鳴が轟く 台風の雲の動きを見ると分かり易いと思います。台風は渦を巻いて強風と雷鳴を伴い移動します。風は最初に起こった宇宙の動き。くるくると円を描いたエネルギーは、次第に形を作り始め徐々に明るさを増すようになります。これが最初に創られた生命、生命の始まりは「動くもの」なのです。 風は繰り返された それは神の呼吸 それは生命の誕生 回転するエネルギーは神の呼吸と共に激しさを増しそれは光となった。そしてそれはあらゆるところに存在した。回転する光が増えるにつけ、輝きを増すにつけ、それらの集合により太陽のような球体を生み出した。それは後にセントラルサンと呼ばれ、あらゆる生命体を生み出すこととなる。 暗闇は無くなった。なぜならその太陽が神のハート(生命の核)だから。神の体内は光で満たされたのです。光の渦(流れ)は一つに溶け合ったり離れたり、それは屋根をつたう雨の滴がくっついたり離れたりして形を変えるようなもの。 そのセントラルサンから創造物が溢れ出した。無限に思えるあらゆるスペースに神の意志がある。なぜなら全ては神の体内にあるのだから。神は全ての生命体の種子(原子と思っていただいて良いと思います)をあらゆるスペースに植え込んだのです。 |