数学教育講話U




現在、わが国の教育は学力低下、学びからの逃避などの諸問題を抱えている。特に深刻なのは理数離れ、数学嫌いである。数学は好悪、成績格差が明確に出る教科であるといわれる。原因は学習内容や試験において、「わかる」ことや「できる」ことが円滑に連動すれば問題はないが、悪循環や機能停止に至ることが多く、そこに明確な差が出るからである。

さて、この「わかる」、「できる」という語については、教師も生徒も安易に使っている。しかし、そこに共通のコンセンサスがあって、同じ意味として使っているのであろうか。実際には多義的であり、本質的に異なる意味があるのではなかろうか。この意味の理解が十分でないことが、数学が「わかる」、「できる」ことにとって支障を来たし、学力低下や学びからの逃避に繋がっているのではないかと思われる。

学習内容の厳選という名目で内容の3割削減、総合的な学習の時間の導入などで、義務教育では過去に例を見ないほどの授業時間の減少が生じ、高校に先送りされた内容もある。大学入試のレベルが維持される以上、中高一貫性ではない地方の進学校にとって、義務教育で削減された内容を補填しながら大学入試レベルまで引き上げることは至難の業である。センター試験ではマーク式形式で実施されるが、客観的でコンピュータ処理が可能であるという採点サイドのメリットはあっても、数学教育的にはデメリットとなり、それが数学力の低下を招いていると考えられる。たとえば、マーク式においては、答えに至る過程を論理−数学的に記述することは要求されていない。殴り書きであっても、論理の飛躍があっても、マークすべき答えの形から適当な組合せで計算した結果でも、正解とされる数値が求められマークすれば正解になる。2次の個別試験で記述を課している主として理系では、「理解」、「できる」ことを表明できる学習機会が、それを課さない場合には、数学に関しては浅薄な「理解」に留まり、極端な場合「分数のできない大学生」となってしまう恐れがある。

小学生、中学生、高校生の各段階において、数学学習に要求される「理解」の種類、レベルは発達心理学的にみても異なる。本実践では、高校生について要求される「理解」について生徒がどのように把握しているかを叩き台にして、生徒の数学「理解」観を確立させ、特に「わからない」状態にある生徒に意識改革を起こさせ、学習方法の改善を促し、延いては数学力向上の一助とするものである。



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