奥村五百子




奥村五百子(1845−1907)は、忘れられた女傑である。幕末の1845(弘化2)年に生まれ、若い頃から尊王運動に関わり、2度目の結婚に破れた43歳からは、選挙運動や郷土唐津の開発事業に尽力した。1897(明治30)年、53歳で韓国光州の「日本村」建設に着手し、中国への視察や軍慰問も行い、1901(明治34)年には愛国婦人会という軍事救護団体を創設し、1907(明治40)年63歳で亡くなるまで、「お国のため」に働いた。

愛国婦人会は、総裁に皇族妃を置き、華族・将校・知事などの名望家婦人を集めた団体で、40年以上存続し、解散時には600万人以上の会員数を誇る、世界にもまれにみる婦人団体となった。奥村五百子は、この愛国婦人会を主唱したことで著名になる。多くの五百子伝が刊行され、劇や映画にもなり、教科書にも掲載された。しかし第二次大戦敗戦以後、五百子は忘れられてしまった。

近年、女性運動や女性団体の資料などが集成復刻され、女性の戦争加害責任を問う研究が着々と進められてきている。しかし、女性の戦争協力の研究は、満州事変以後のいわゆる戦時体制期を中心としてきたのではないだろうか。近代の戦争と女性の係わりは、1930年代からのみあらわれたものではなく、近代日本の生成過程で形成されたものである。五百子の活動を多面的にみていくことで、奥村五百子という一人の女性を忘却のかなたから連れ戻すだけでなく、近代日本の帝国主義・植民地主義・軍国主義を洗いなおすことになるだろう。


本棚(総合)

本棚ページ(歴史・考古学)

詳細ページ

書籍の購入方法

トップページ