サンサーラ




まえがき

「朝」という字を分解すると十月十日(とおつきとおか)になります。胎児が母親のおなかの中で育まれた、やすらぎの夢みの時間。わたしたちは毎朝、眠りから目覚めるたびに心と体と刷新されて、生まれたての赤ん坊のようにみずみずしい命をいただいています。

ところが、今日はまるで昨日である。鋳ぬかれたように少しも変ってはいない。なにもかも面倒で、もの憂く、虚しい。かたい体と義務感でいっぱいな心は、機械のように無感動でしなやかさを失ったよう。こちらに差し向けた鳩の瞳が朱色であったことにふと気がついて、私の人生は一体何なのだろうとかこつ折があります。

ああ、生きたい!と思うのです。せっかく号泣しながらこの星へきたのだ、今日を限りにことぶく命とうべなって、あらためてシャバの恵に目を瞠りたい。黒人が手をひろげ、その白妙の中に四つ葉のクローバーを見たような、鮮烈な驚き、喜び。感じたいのです。花一輪の金字塔を。虫一匹の荘厳を。そして自分がここに生きて在ることの、途方もないえにしのこよりに深く思い至って、嬉し涙を流したい。

サンサーラとは、インドの古い言葉で「輪廻転生」のこと。わたしたちは死を待って生まれ変わるのみならず、すべての過去が熟した魁(さきがけ)の花として、日々新たに咲きほこります。われもまたかくあれとの願いから本のタイトルとしました。

手にとって下さったあなたのこころへ、遠い花火のような思い出の一つでも残るなら、筆者としてこのうえない喜びです。



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