小さな物語




 村の小高い丘に、一本の木がそびえていました。ケヤキの大木で九十年はたとうという、ふるい木でした。村人はこの木を神木とよんでいました。草原には、この神木をのぞいて一本の木もなかったのです。

 真夏の午前でした。このケヤキの下に老人が休んでいました。老人はロッキングチェアに坐り、うたたねをしていました。神木の枝葉が影を落としています。さわやかな、そよ風がよせていました。

 老人はロッキングチェアの中で、眼をさましました。タオルで顔をぬぐい、白が頭を指先でかきました。さらに大きく伸びをしました。すると、半そでシャツがめくれ、じょうぶそうな胸があらわれました。とても八十四才にはみえない、たくましい胸でした。

 老人は草原をながめています。太陽は空をかきまわし、草原は金色に輝いています。遠くの山々は白くけむっていました。

 老人はじょうぶそうな胸をひらき、大きなあくびをしました。そして白が頭を、チェアの背もたれに放りました。やがて、大きな声で話しかけました。

「きみたち、やぶ草の中で、青大将を見かけなかったかい? ついさっき、そこのやぶ草に、のそのそと、しのびこんでいったんだ」

 すると、草むらから三人の少年たちがはい出してきました。いずれも頭を茶色にそめた少年たちで、ひどく驚いた顔つきをしていました。

「じいさん、じょうだんだろう?」と少年の一人が言いました。

「ほんとうの話しさ。胴腹の太った長虫だったな……。きみたち、タバコなら、ここですったらいいよ。だれも、見ちゃいないもの」

 老人はチェアの中で上体をしっかりと立てました。そして、ふたたび草原に顔をむけました。

 少年たちは、草やぶからはい出し、こわごわとした様子で神木に寄ってきました。みな半そでシャツの胸をはだけ、だぶだぶのズボンをはいています。けばついた、はでなかっこうをしていましたが、幼い顔つきの中学生だったのです。

「じいさん、帰る家ないのかい?」

「あるさ」

「なぜ毎日、ここに来るんだい? 弁当と水筒かついで、それに杖ついてさ」

「おまたちと、いっしょさ。建物の中、屋根かぶってるのが、きらいなんだ」

「ふん、じいさん。いつも、どこから来るのさ」

「帰ったところから、来るんだよ」

「のんきな、もんさ。ゆらゆらしてるよ」

「おまえたちと、いっしょだよ。はみ出し者さ」

「へい、そうかい。はみ出し老人かい? おれたち、これでも気ばってるんだ」

「ふむ。不良をつづけるのも、楽じゃないってわけか。そんなに気ばることないよ。まだ、中学生じゃないか。ひなっこみたいな、もんだよ」

「説教かい?」

「いいや、年寄りの冷水さ。わしだって、説教はきらいだよ。聞くのも話すのもきらいさ。クソのためにもならんさ…。だがな、軍隊でもらったピンタは、きいたぞ。人間の怖さを知った、しゅんかんさ」

 老人は、ほほをそっとさすった。太陽はケヤキの上にかかっていました。葉むらの中で太陽は、ちかちか光っていました。

「じいさん、学校は行かなかったんだろう?」大人びいた顔の少年が聞きました。やがて、少年たちは老人のそばに寄ってきました。ぽんぽんに、ふくらんだカバンをひきずっています。カバンの中には、脱ぎかためた学生服がつめこんであったのです。


書籍の購入方法

本棚ページ

詳細ページ

トップページ