ナイーブなる者の遂行




 古河は、飯台の上の片付けを手伝った。飯台が奇麗になると、アルバムが持ってこられた。早くから、並木のために用意されていたものだった。古河は、自分の座る場所も並木の左側に移り、写真の説明役を引き受けた。
 女性のアルバムには、夢があった。楽しさを与えてくれた。服装、髪の形一つで様々な姿に変貌するので、見ていて飽きないのだ。中に、並木の特に気に入る写真があった。古河が一年前の夏に北海道旅行をしたときの写真であった。同じ旅行中の写真は何枚もあったが、特に良く写っているのは、阿寒湖の湖畔で写したものだった。
 青々とした湖を背景に湖畔の砂の上に古河はしゃがみ込み、ふとこちらを振り返ったところをクローズアップで撮影されたものであった。黄色いセーターに黄色いスカートが、実にしっくりと古河の背景と顔を調和させていた。この美しさは、何に起因しているのであろうか? 並木は、じっとそれに見入った。
「これは、実に良く撮れていますね」
「私も、その写真が一番好きですわ」
 並木は前に、古河が親の反対を押し切って一人で北海道旅行を断行したと言う話しを聞いたことがあった。並木の心に俄かに疑念が膨れ上がってきた。一人ではなく婚約者と一緒ではなかったのか? 並木は、急にその事実を確認したい衝動に駆られた。
「北海道へは、彼と一緒だったのですか?」
 古河は、拍子抜けがするくらい正直に頷いた。並木の嫉妬は極点に達した。しかし、どうにもなることではなかった。そういえば、古河が出してきたアルバムの中には、新宿で会ったあの男性の姿は何処にもなかった。そこには、古河の心にくい気遣いがあった。並木は、それに気付いた。すると、一層心に疼きを覚えた。どうしてこんな美しい写真が撮れたのか、並木はその原因に思いを馳せた。
 この二人は、既に何一つ拘束のない幾夜を一緒に明かしているのではないのか? この美しさは、古河の安定した幸福感を物語っているに違いない。並木は、苦しくなった。写真は、既に過ぎ去った出来事を物語っているに過ぎない。並木はそう考えようとしたが、しかし、並木の全く干渉できない遠い出来事であるからこそ、余計心が痛んでくるのであった。並木は、幾ら心が痛んでも、写真から目を逸らすことができなかった。限り無くいとおしさを誘うものが、そこにはあるのである。


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