湾岸戦争の余波の中で




 一九九一年二月も中旬になっていた。中東情勢も、去年のイラクのクエート侵入を切っ掛けにエスカレートし、到頭つい二、三週間前、アメリカ主導の国連軍が現代科学兵器で首都バクダッドを中心に空爆を加え、国連軍がイラクから降伏を勝ち取ったばかりであった。戦争の余波はまだ尾を曳いており、日本の各企業も、一斉に海外出張自粛、禁止を打ち出している最中である。戦争は何とか終結したとは言うものの、まだいつ何どきテロの発生があるとも分からぬ情勢で、余程の例外を除き、鷹島エレクトロニクスでも海外出張は禁止状態になっていた。

 ところが、そんな情勢のときに、山本と佐倉のボストンへの海外出張が決定したのである。どうしてもユーザーが関係し納期を延ばすことができないものに対しては、やむを得ず別途考えると言うケースに該当したのである。

 山本と佐倉は、ザイサイトと言う電子製版システムの販売に際して、ソフトウエア技術面から支援をしていくSE課の人間であった。SE第一部SE四課は、次長である山本が課長を兼任しており、課員は、山本も含めて六名であった。その内、佐倉、高木、永山がザイサイト・システム対応専任のSEであった。

 今回、海外出張が原則的に禁止の時期に、山本と佐倉がどうしてもザイサイト社に出張せざるを得なくなったのには、当然それなりの理由があった。ザイサイト・システムは、足掛け二年半を掛け日本語化の開発作業を続けてきており、その最終的な開発作業を去年の末に終わったばかりであった。日本語化の最後のテーマが、かな漢字変換機能の組み込みで、一応その開発は実施されたが、山本達によるテストの結果、ユーザーにリリースするにはまだ重要な問題が存在していることが発見されていた。

 そういう状況の中で、日本語機能をフルに備えたシステムを要望する具体的なユーザーが出てきたのであった。それは、日本の大手自動車メーカーの一つである大造自動車であった。大造自動車では、自動車のモデルごとに、ユーザー用のマニュアル、整備用のマニュアル作りをこれまでほとんど手作りで遣ってきたのを、ザイサイト・システムを採用して電子化しようと意図しており、既にテスト的に英版のザイサイト・マシンを一台買い込んで、新しい製版システムの検討を進めていた。それが、此処にきて、急にシステム導入計画が具体化してきた。即ち、今年の三月中旬までに、日本語システムを先ず三台導入し、それを使用して四月から自動車のマニュアル・データの入力作業を開始しようと言う計画を提示してきたのである。

 それには、条件があった。ザイサイト・システムでドキュメントの最終的な製版原稿まで作る。その為に、精度の良いレーザー・プリンターをザイサイト・システムに接続し、しかも、日本語のプリント用フォントは、これ迄の明朝体、ゴシック体に加え、丸ゴシック体を装備して欲しいというのである。


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