シベリア捕虜の記憶




1943年昭和17年広島県の田舎町庄原から大阪へ出稼ぎに行っていた聖三のもとへ、一 通の通知が届いた。それは予期していたとおり、徴兵検査の知らせだった。この頃は 20歳になると徴兵検査が行われる。単に身体検査を行われるだけのことだが、体格の いい者が優先的に兵隊へとられるというものだった。この時代は小さいときから軍事 教育を浮け、軍人として国のために戦うことが最も尊敬されることとして根付いてい た。上の学校へ進むに連れて、軍事教育が行き届いていた。だから、自分から軍隊へ 入るものも大勢いた。しかし、1941年6月のミッドウエー島攻撃により日本は敗北。 戦いにおいても不利な立場だった。そのため、軍事経験もない人々20歳を境に元気で 体格のいい者が先に徴兵されていった。『甲種合格』……押された印を見つめ、聖三 は、自分が甲をつけられたことを誇りに思った。(今だに父・聖三は、体格がよかった ことを自慢の種にしている。)

 3ヶ月後、大阪に居る聖三のもとに徴兵の通知が届いた。もちろん故郷の両親のもと へも同時に届いた。『兵隊にとられる』という言葉がぴったりであるように、戦地へ 向かった兵士は二度と故郷の土を踏めないかもしれない。



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