水戸徳川家の武術




第一章 兵 学・軍 用

戦国時代の末頃から江戸時代初めにかけて兵法の諸流派が興った。陣構え、城取など兵法の理論、総括、戦略的なもので、極秘を要するものだから、流儀があり流派が生じて他の武術同様に門外不出のものであった。その流派は、大きく分けると甲州流(武田流、信玄流)と越後流(謙信流、宇佐美流)になるが、水戸藩にはその分派である山本勘助流、謙信三徳流、佐久間流、松田流などが伝わった。

文化七(一八一〇)年三月当時『武芸上覧御用留』によると、兵学、軍用指南にて稽古場持居る者吟味之上の姓名は、
 谷登十郎(重貴・山本勘助流)、鵜殿平和七(廣壽・山本勘助流)、安積三郎衛門(経之・山本勘助流)、富田理介(敏好)、谷佐之衛門(忠明・佐久間流)、三木陸衛門(玄通・佐久間流)、徳大寺左兵衛(昭如・松田新流)、井上藤左衛門(信如・松田流)、根本新平(義言・松田新流)、山本新五郎(忠以)、岡本小兵兵衛(祐躬)、佐野孫兵衛(盛言・松田新流)であった。(続く)

第四章 剣術

剣術は、武士の表芸と考えられ、流派も天真正伝神道流、天流、新陰流、神道無念流、一刀流、二刀二天流、吉岡流、北辰一刀流、東軍流、一宮流などと数多く存在した。水戸藩でも歴代藩主の奨励もあり盛んに行われて、一刀流、新陰流、真陰流、三和流、東軍流、判官流、両剣時中流、田宮流、一宮流、無形流、鹿島神道流、北辰一刀流、神道無念流、水府流、天流、柳生流、金剛流、清浄鈴剣流と(長刀術は次の章へ)多くの流派が伝わった。

藩主では、水戸頼房公・光圀公が判官流、綱條公が一刀流・疋田流、宗堯公が無形流、治保公・治紀公・斎昭公は共に一刀流を流儀としていた。

また、文化七(一八一〇)年三月当時『武芸上覧御用留』によると、剣術、居合術の指南にて稽古場持居る者吟味之上の姓名は、
  横山縫殿蔵(君緩・一刀流)、君嶋藤内(亮・東軍流)、宮田三郎助(清武・北辰一刀流)、伊藤佐一衛門(友諒・東軍流)、皆川源大夫(清辰・涼天覚清流)、中山半衛門(包矩・無形流)、堀口庄大夫(貞久・涼天覚清流)、鳴海何衛門(清定・ 無形流)、白須又蔵(直雅・源義経流)、三谷政弥太(正直・源義経流)、林十左衛門(正純・田宮流)、駒井藤次郎(重 道・新田宮流)、片山太郎吉(義質・新田宮流)、駒田八十郎(攄・新田宮流)、蔭山又十郎(廣徳・新田宮流)、谷田部 藤七郎(通堅・新田宮流)、斎藤三郎大夫(清成・一宮流)、奥山市之衛門(勝知・田宮流)、井出弥八郎(長常・新田宮流)、加治平内(吉定・新田宮流)、三宅十衛門(繁貞・新田宮流)、谷佐之衛門(忠明・一宮流)、渡邊久介(泰・新田宮流)、高橋與三衛門(秀種・一宮流)、伊藤権内重遠(田宮流)であった。(続く)



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