中・短規模《構造》集



データ

作者名 作品の分類 ページ数
山本幸生 小説 168

ISBN 書籍サイズ 定価(税込・円)
978-4-86420-246-6 A5 2,200





概要



著者第三の存在論的小説。『ナミムシ』『鉄板』『穴』の三作品からなる中短編集。



(著者コメント)

フィクション、という範囲で考えても、世の中には多くのジャンルがある。科学「空想」小説はSF(Science Fiction)などと呼ばれるが、それになぞらえば、ホラー小説などはTF(Terror Fiction)、恋愛小説はLF(Love Fiction)、また、いわゆる「純文学」などはHF(Humanity Fiction)とも呼ばれ得るだろう。

本作も含めた私の作品は、これらのどれにも属するものではなく、あえて名付けるならば、OF(存在論的フィクション=Ontological Fiction)、とも言うべきものであると考えている。すなわち、それはこの世界を成立せしめている根本的な「(存在論的)構造」というものを扱っているのだが、正確に言うと「この世界そのもの」ではなく、私が想定するところの「フィクション」としての存在構造によって「この世界」全体を丸ごと「処理」したものとしての作品、ということである。

過去の歴史では、例えばカフカやボルヘス、あるいは日本で言えば安部公房のように、作品の中である世界観に基づいて現実とは異なった「別世界」を創造する、というタイプのものが存在するが、私の理解では、これらは存在論的というよりはまさに「世界観的」と言うべきであり、ジャンルとしてはWcF(World creation Fiction)と名付けておきたい。

私の言うOF(Ontological Fiction)においてももちろん世界は「創造」されるが、それはある固定した一つの「世界」ではなく、一つの作品の中で複数の、あるいは無数の「世界」というものが明滅するような、いわば最も根本的な「存在の場」としてのフィクション、ということである。

従ってそれは、一つの作品の中において基本的にある固定した世界観を創造するWcFの次元を更に一つ上げて、各々の「世界」をいわば「点」として扱い、その点の「構造」を描いていく、といったタイプのものになるわけで、その意味で「現実との接点」という面ではWcFより更に希薄なものになっていくだろう。

そのような作品を「読む」ということに意味があるのかどうかは読者の判断に任せるが、私自身の感覚としては「書く」意味というのは間違いなく存在し、それを通して「あらゆる存在」というものが極めてクリアーな形で「見えて」くる、ということを私は、ほとんど否定したくても否定できないほど無限反復的に経験「させられて」いるので、ほとんど客観的評価というものすら不要に思われてくるほどである。

つまり私の作品というのは、読者がそれを外側から「眺める」ようなものではなく、作品を「体験」していく過程の中で読者自身の意識が解体され、その極限において私が見ているものが読者によって「共有」される(であろう)というようなものであって、少なくとも「作品」として世に出す以上はそのようなものであることを(作者として)期待している次第である。



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