東文彦ガイド(評伝編)




東文彦は大正九年(一九二○)八月二十三日に生まれ、昭和十八年(一九四三)十月八日に亡くなった。満年齢で二十三歳、数え年では二十四歳であった(以下に記す年齢は満年齢)。本名を?(たかし)という。生涯の多くの日々を病床で過ごした。十八歳の終わりに結核を発病してからは、絶対安静の状態が三箇月間続いた。本来ならば執筆も禁止されていたのであるが、医師を説得して病臥のまま創作活動を行った。現在入手可能な文彦の作品は、「覚書」を含めて二十二ある。文彦に関して出版された資料としては、文彦自身が書いたものをまとめた本が二冊ある。『浅間 東文彦遺稿集』(非売品、東季彦編、昭和十九年七月)と『東文彦作品集』(講談社、昭和四十六年三月)である。

生前を知る者の回想録としては、父東季彦の随想集『マンモスの牙』(図書出版社、昭和五十年三月)に、文彦を回想した記事がある。他に友人の回想として、坊城俊民『焔の幻影 回想 三島由紀夫』(角川書店、昭和四十六年十一月)に「東文彦」の章がある。近年刊行された『三島由紀夫十代書簡集』(新潮社、平成十一年十一月)で公表された六十六通の書簡のうち六十四通は、文彦に宛てたものである。作家としてよりも三島の十代の頃の文通相手として知られており、この書簡集を見ると文彦の様子をある程度知ることができる。また三島が学習院の恩師清水文雄に宛てて書き送った書簡のうち八通は、文彦のことに触れている(三島由紀夫『師・清水文雄への手紙』新潮社、平成十五年八月)。安藤武『三島由紀夫「日録」』(未知谷、平成八年四月)と『三島由紀夫の生涯』(夏目書房、平成十年九月)には、文彦宛に三島が書き送った未公開書簡の五通からの引用が断片的に見られる。信憑性、正確さについてはなんとも言えないが、ここからも両者のやりとりの様子が察せられる。

さらに、前掲書『浅間 東文彦遺稿集』には文彦の両親や知人の追悼輯録と、文彦自身の書簡七通が掲載されており、生前の様子や死の間際の様子等が具体的にわかる。『東文彦作品集』には昭和四十五年十月二十五日に書き上げられた三島由紀夫の序文が載っており、自らの死を一ヶ月後に控えた三島が、時を隔てて文彦のことを振り返っている。

文彦に関して、その生涯を具体的に辿る資料として筆者の手に入ったものは以上である。本書では、それぞれの資料をもとに、文彦の短い生涯の歩みを辿っていく。各節の末尾には、文彦や関係者達の発言を一覧できるようにした。書簡の引用は、『決定版 三島由紀夫全集』第三十八巻(新潮社、平成十六年三月)によった。


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