天下の剣




徒かも日暮れ時である。英雄は色に溺れるが、駱駝はロバだ。英雄を担いで砂漠を行き来している。英雄に砂を運ぶのは風でも、人間に運ばれるのは担架だ。英雄、池に溺れ、人間の鯉の散策に微塵もない。仏の手のひらは、人間に在るがままの状態を知らせた。それなら手のひらから抜け出し、慌ててみるのも悪くはない。しかし、仏の手のひらから逃れても散策は取り止めだ。何故なら、理由がなくなるからだ。理由もなく、人間が生きる筈はない。人間は蛇なのだ。舌をペロペロ出し、獲物と判ると呑み込む。獲物でないとすると何だかだ。唯の自然ではないか。それを怖れてはスターが危うい。人間はスターなのだよ。徒かも蛇が呑み込んだ中に、人間の欲望も混ざっていた。欲望を調べてみると痕跡が疑われる。蠅、蚊、人類が恐れた恐怖だ。人間の恐怖の中に、人類を滅亡さす痕跡が見付かった。凶行は押し寄せ、人間の判断に息吹きを仕込む。人間の判断だから誤りが在るかも知れない。それは仏の導きにしても、仏とは具象をいう。具体的に自然を差す。自然であるからには、色はあった方が良い。欲望は少ない方が良い。欲望が多いと慌て出す。捕らわれた野獣の隅かを棒で叩くようなものだ。自然には冒険があり、蛇や大蛇がいる。冒険は大いに結構だが、捕らわれたのでは可哀想だ。しかし、人間の欲望は囚われた蛙さえ遮ってしまう。詰まり、仏の分際で何をいうだ。自然の欲した中に欲の餌食となっても、それは蛙の本能がそうしたのだ。蛙は蛇の食べ物である。蛇は人間に嫌われている。人間は蛇に懐かない。自然は大蛇に時間をやり、人間は時間から蛇を学んでいる。つまり、人間の欲望では届かぬ未来である。原始的だが、欲望の為せる技は時間をも超越し、野獣の隅かの発見だけでは覚束ない。未来は足音を立て、角を生やし、野獣のようである。未来とは自然の中にある野獣の群れだ。しかし、その未来に導かれたとしても、人間は野獣には戻れない。本能が違うのである。



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