マヤ文明




マヤ文明とは「謎の文明か?」という質問をするとすれば、どれくらいの人が「謎」ではないという答え方をするのであろうか。確かに謎は多くあり、それがまた魅力なのではあるが、そのおかげでとっつきにくい文明というイメージから敬遠されることもあるのではないか?

マヤ文明を一つのテーマとして本にしているケースは日本ではまだまだ少ない。これにはいくつかの理由がある。マヤ語圏において統一的に支配した政治勢力は古代から現代に至るまでなかったことから通史が書きにくい。また、文献資料が少ない。一時期このマヤ地域に多大な影響力を誇示したメキシコ中央高原のテオティワカンは、人口20万ともいわれる巨大都市でありながら簡単な絵を補助的に使った口頭伝達に頼っていたため、当時の記録は失われてしまった。そして後世の人間達からは神話世界の中の都市とされたという具合なのである。もちろん考古学概説を書くことは、その道に精通していれば難しいことではない。しかし、王朝史がわからないためエジプトに関する本のような魅力的なものになりにくいのである。

一般にマヤ文化が絶頂に達したと思われている西暦300年から900年の間は、都市国家の分裂時代であり、まるで日替わり劇を見ているかのごとく戦闘があった。マヤ文字の資料として大量に残されている各都市の歴史というのは、いわゆる官製の政治宣伝であり、マヤ文明全体を見渡して歴史を書き表した「歴史家」がマヤ文化圏では極めて少なかった。

その一方、マヤ文明という、この密林の中に栄えた文明を必要以上に謎の文明と位置付け、我々にとって理解されがたい謎の文明であるかのごとく誇張した本が現在でもたくさん出ている。日本で最初のマヤ語辞典は1990年代に公刊されたが、そこにはマヤ文字は象を示している等の、なんともこっけいなことが書かれていた。ここではこうした出版物が出ることへの非難を止めておこう、というのも例え本人が真面目にやっていても、日本で孤立した環境下マヤ文字を研究すると、現時点においてもこういう本が出来ない保証はないからである。この辞書の問題は、彼がその辞書作成のために使用した参考文献が余りにも古いために起こった現象であり、また文献をアドバイスする人がいなかったことにも原因があると見られる。

インターネット出版(これはサーバーを獲得すればどんなものでも出せるため、出版とは認めていない方がたくさんいるが)で啓蒙を図ることも米国に比べればはるかに立ち遅れている。

オンライン書店アマゾンの売上ランキングを調べてみると、「マヤ」のキーワードで調べると「女医マヤの…」という小説が売上トップであり、続いて「謎の文明派」の書いた本の売れ行きのほうがはるかに上だと言うこともわかった。

しかしながら、マヤ文明を含むメソアメリカ文明研究を専門にし、独創的な貢献を海外で出している人は日本人にも少なくない。こうした人たちの中で知名度があるのは考古学者たちであろうが、米田(マヤではないが)・大越といった日本においては無名ながら地道な文献研究を続けている人たちもメキシコにいるのである(私自体彼らの存在を知ったのはかなり最近である)。

筆者が生まれて以来、マヤ文明の知識は大きく変わった。兄の高校の世界史副教材には今では死滅したマヤの旧帝国・新帝国等といった考えがはっきりと書かれていて、そこから現代のマヤ学の進歩を見ると、この文明に対する考えがこうも短期間に変わったかと思うのである。マヤ文字というと日本では、まだ一部の専門家のみが理解できる文字と考えがちである。しかし、解読の最先端の分野はともかく、ある程度確立された解読については、ドイツや米国等大学院の博士課程の学生でもすらすらという状況が1995年の段階ではもうあたりまえの状況であるのである。ベルリン大学やボン大学で使うワークブックも拝見したが実にわかりやすく実用的だ。もちろん解読が急激に進んでいるという主張の中で、無理やり解釈を当てはめて読めたことにしているという批評も当たってはいるが、日本のマヤ学全体の裾野を広げて行くという考えからは「完成されないものは外へ出さない」という考えにも感心できない。できるだけ多くの人が参加することによって進歩は生み出される。

本書はそうした中、一般読者や大学の学生にマヤ文明に関する正しい知識を修得する機会を提供できればと思い書き始められた。本書を読み始めた読者には、一見くだけた書き方のように見えるかもしれないが、大したことでもないことを必要以上に難しく見せることはこの文明の紹介という意味からはよくないと考えたからである。また、マヤ文明は滅んだ文明ではなく、現在もなお生き続けている文明であるということを強調することに努めたつもりである。

最近は日本の人たちも本を出しているので、一人で「ええかっこ」して全体像を詳しく概説する時代でもない。考古学者たちの得意なことは努めて簡略化し、西暦300年ごろから現代までのマヤ族の歴史を記述することに重点をおいた。

広い範囲を取り扱う通史書きと言うのは、ある意味では論文を書くより難しいことがある。多くの本が分担執筆される所以である。私自体も力が足りない分野が多くあり、今回のマヤ文明の本ではある程度テーマを絞り、他の概説書で軽く触れられるだけの部分が充実されるよう、しかも何とか面白く読んで貰えないかと工夫したつもりである。脱線することが多いため、筆者の前著『アステカ文明』(太陽書房より刊行)より不真面目に書いてあると考える人もいるかもしれない。これが筆者の自己満足に終わっているかもしれないという危惧はあるが、とっつきやすい本になったと自画自賛したい。ただ、読者の意見は違うものであるかもしれない。

正直なところ、マヤ文明は個々の要素を見てみると非常に興味深い対象だが、通史を書く対象として見てみると、アステカの方がはるかに書きやすいし面白い。それは歴史上の人物の行動がよりつかみやすいことにも原因があるように思う。たとえばアステカの同盟者であり、勇敢な武人かつ詩人王であったテスココの王、ネサワルコヨトルの詩は現在まで大量に残って、この人物を興味深く描くことは決して難しくない。一方でマヤの方は、こうした歴史上の人物の直接の声が残っていることが少なく、彼らの歴史上の存在をなかなかうまく書けないのである。

アステカの時苦労して一冊の本を書き上げたが、今回の場合は手持ちの参考文献ははるかに豊富だし(アステカの時は重要文献が足りなくて、原稿編集段階というとんでもない時にスペインから資料を取り寄せたりしてしまった)、全体として原稿作製はこの時に比べると快調ではあった。

マヤ文明の研究はとにかく余り難しく考えないほうが実りの多い結果が得られる。もちろんマヤ文明を研究するにあたって、スペイン人によって征服された後、現在までマヤ人が社会の底辺で虐げられてきたことを知る必要はあるが、古代史への個人的興味を満足させるのがマヤ文明研究の主目的であって一向に構わない。グアテマラの観光地ではこういう動機で長期滞在する欧米の人がたくさんいるが、少しでもこうした原住民の実態について知り・援助する姿勢があればそれはそれでいいのである。


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