アメリカの管理者




「ジェノアさん、山本です。入って宜しいですか?」
「山本さん、どうぞ」
「またお会いできまして」
 山本は、椅子を立ってこちらに出てきたマイク・ジェノアと握手を交わした。
「先日は、どうも有り難うございました。これは日本からの土産物です」
 山本の前回のアメリカ出張では、ほとんどマイク・ジェノアのアレンジに基づいて、サン・ホゼ、ソルトレーク、ボストンと回って歩き、漢字データエントリー・システムの開発の可能性について調査をしていた。マイク・ジェノアが実際にアテンドをしたのはボストン郊外のピクセルと言う会社だけであったが、サン・ホゼのフリート社、ソルトレークのユニブラザーズ社は、何れも彼のコネでアポイントが取られ、訪問したものであった。
 何れの会社もベンチャー・ビジネスで、Unixと言う基本ソフトで動くコンピュータのハード・メイカーもしくはソフトウエア・ハウスであった。マイク・ジェノアが、何故Unixで動くコンピュータに関心を示すようになったかと言うと、ユニブラザーズと言うソフトウエア・ハウスが、もともとはブリッツベルグのデータエントリー・システムを使用してコンピュータ用データの受託入力業務に携わっており、その業務経験に基づき、ブリッツベルグのデータエントリー・ソフトとそっくり同じものを、Unixのマシンで動くようにC言語で組み上げたという情報を入手していたからであった。その情報に基づいて、彼なりに漢字化の実現方法を考えた。ユニブラザーズの作った英文用データエントリー・ソフトに漢字機能を追加して、パフォーマンスの優れたUnixのコンピュータに移植をすれば、ブリッツベルグの開発を待たなくても漢字化が実現できるのではないか。それが、マイク・ジェノアの考えとして、固まりつつあった。それは、これまで三年間に渡り、鷹島からブリッツベルグに対して、漢字機能の開発をしないかぎり、間もなく日本では折角勝ち得た市場を失うことになるとの警告を発し続けてきた結果であった。しかし、その努力が今回やっと聞き入れられて、ブリッツベルグで漢字開発ミーティングが持たれるに至ったのである。
 その前回のアメリカ出張時には、ユニブラザーズのデータエントリー・ソフトを乗せるUnixのコンピュータ・メーカーとして、フリート社とピクセル社が候補に上り、両社のマシンにユニブラザーズのソフトが移植され実際に動くところを、山本以下営業も含めた三名で見にきていたのであった。そのUnixコンピュータに正常に移植できるかということもさることながら、ユニブラザーズのソフトがブリッツベルグの機能をどの程度実現しているか、更に、三十二台の端末を無理なくサポート出来るだけのパフォーマンスを有しているかどうか、それを見極めることが重要な仕事であった。結論的には、ユニブラザーズのソフトの方は機能足らずであった。そして、Unixコンピュータのパフォーマンスについては、ピクセルの方は無理だと判断できた。しかし、フリートの方は、行けるかも知れないという余韻を残した。フリートの場合は、多端末をサポートするための特殊な技術が入出力部分に施されており、それを活用すれば、三十二台を同時に動かしても十分待ち無く運営できる可能性があった。しかし、ソフトが不十分のため、この線での話しは、東京ではほとんど立ち消えになっていた。
 山本のマイク・ジェノアへの礼の中には、そのような背景があった。
「いつも、美味しいお菓子を有り難う。奇麗な包み紙ですね」
 マイク・ジェノアには、中を見なくてもお菓子であることが分かった。毎回山本は、品を替えては、いろいろな日本の銘菓を彼のための土産物として持ってきた過去があった。


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