巧妙の灯り




決戦の日曜日、次の日雨曇り。イケイケイケ。その時、水運は天に味方した。海水は荒れた。怒涛の如く濡れた。塩水を被ると痙攣が始まった。それでも箸を離さ無かった。時化で海は荒れ、海水は最高潮に達した。一匹の泥鰌が姿を現したのである。海に泥鰌が居る筈もない。蛞蝓かと思えた泥鰌も、今は腹の中である。不味い飯を喰ったものだ。やっぱり泥鰌だったのではないか。海水の温度が上がり始めた。このような日曜日、月初めの産卵は孵化する。水運止まず。泥鰌は胃の中で痙攣を始めた。その時、水運は天に味方したのである。敵は海に倒れたのだ。海を渡る蛞蝓はいないからである。泥鰌と思えたのは気のせいである。次の日の日曜日、醤油が無かったのは言うまでもない。買い求めて娼婦にした。酒は、雨が、土砂降りになりかけた頃を見計らって飲み干した。それでも雨は止まずである。人間の幸せとは祈りだ。つまり、欲求が満たされたときが充実である。それなら幸福はいつ訪れるのか。常に新しい神が登場し、入れ代わり新しい価値が生まれる。価値の征服は、もっぱら人間に対する懲罰である。厳重に福音を着せ、咎めを人間の躾にする。暴利は人間の期待に見事に収まったのである。人間にあるのは生きるという原理を上手に利用する。しかし、背くのは人間の掟ではない。肉体は欲求が溜まり、原始の神は救いの手を差し伸べた。肉体が宿った人間の霊は、物欲という頑丈な殻に治まったのである。それが何と謂おうと天国である。しかし、人間の認識だけでは不十分だ。何故なら、固い殻は人間の頑丈な檻に入れたのである。物欲という頑丈な檻は逃れる事を知ら無かった。つまり、認識は欲求だけ満たせば幸せなのだ。世界が滅亡し頑丈な檻から逃れられたら幸せであるという。しかし、根拠は神に無く、必要な人間の肉体も亡くなる。幸せが人間に襲い掛かった。しかし、頑強な人間の檻は、幸せを認めようとし無かった。それには支配が人間の掟に成り済ましたからである。支配は嘆き、慟哭を要求した。感情すら奪われ兼ねない人間の支配である。そこに掟はあったのであろうか。人間の争いも固い殻の中である。何時までも、一時凌ぎとは往か無くなった。死という意味が余りに人間に取って酷な掟であると悟ったからである。悟りとは、死に於いて意味がある。悟っていなければ死を無駄にするだけだ。しかし、人間はそれでも頑丈な殻で縛られている。欲求という概念と天国という概念の葛藤に支配は何れ滅びるであろう。


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