廃屋




最近気がついた事だが、何よりも問題なのはどうやら私はずっと以前からこの廃屋の中に住み着いてしまっていたということではなく、もしかしたらここが廃屋であると考えていたのは私も含めてごく一部のグループであるにすぎなかったのかもしれないという事なのだった。

といっても無論そうしたグループ≠ニいうのは廃屋の一角においてある纏まったコミュニティーを成しているというわけではなく、また何らかの形で互いに連携を取り合っているといったこともまるでなかったのだが(というより私はそもそもそんなグループ≠ネどには何の興味もなかったのだ)時折ふとした気まぐれで廃屋の中を散策する際や、いま住み着いている所に不思議なほど我慢がならなくなって新しい場所を探しているときなどに見かける者たちの立ち居振舞い等から私は常に廃屋≠フ臭いを嗅ぎ取ってきたのであり、そうしたことからごく自然にある種の架空的グループができていたのだということである。

ただ私の感覚からするとこうしたグループというのはほとんど廃屋の隅々にまでびっちりと行き渡り、それ自体ほぼ廃屋そのものであるのではないかという気さえしていたのであるが、どうやら廃屋はそれほど単純なものではなかったらしいということにようやく気付き始めたのだということで、これによって私は廃屋というものがすっかりわからなくなってしまうと同時に私が廃屋の臭い≠嗅ぎ取っていたというグループ≠ネるもの自体がまるで信用の置けない空虚極まるもののように思われてくるのだった(もっとも私がここを廃屋だと思っているというのは別にそうしたグループ≠ニいうものを根拠にしているという訳ではないので、仮にそれらが空虚な≠烽フであったとしても私としては一向に構わないのであるが)。

そういうわけで私個人について言うならばそんなグループが一部≠セろうが全部≠セろうが基本的にどうでもいいことなのであるが(なぜなら今も言ったように私にとっての廃屋というのはそれらのグループに依存してはいないからだ)ここでやっかいなのはグループに属しているいないにかかわらず廃屋の中にいる限り我々は否応なく(同じく)廃屋の中にはびこっている住人≠スちと接触していかざるをえないのだということであり、そのたびに私は(わずらわしくも)次のような注釈をうんざりするほど繰り返していかなければならないのだった。



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