蜉蝣の兵隊(下)




トル河を渡りサルミに脱出した第三揚陸隊員は僅かに一八名であった。この内、鳥羽軍医少尉と衛生兵の二人は、衰弱して密林内で気を失っているところを善良な現住民によって救われ、九死に一生を得ていた。その後、彼等は元気を取り戻してトル河の右岸を下っていたところを第三十六師団に拾われ、貴重な人材として保護された。赤十字の腕章がものを言ったのである。

しかし、前述した通り、一般兵に対する処遇は冷淡過酷で、やっとサルミに辿り着いた兵士でも、更に西方のシアラに移動させられ、第三十六師団の作戦地域に入る事を禁じられた。 かくして、シアラに集結した兵は一万五千名中の二千名足らずで、体力の減耗に鞭打って原野を開墾しながら露命を繋いだのであった。そのため、そこで更に一千六百名の病死者が出た。兵士は第三十六師団の司令部に怨みを込め、トル河を命トル河、シアラを「死原」と呼んで恐れたのである。

尚、第三揚陸隊・第一中隊長(景山四郎中尉)の当番兵であった黒田勝太郎は、シハラで部隊本部の鳥羽軍医少尉と面会した。

ホーランジャ部隊の最終帰還者は約四〇〇名で、その内、第三揚陸隊はシハラ一〇名が祖国復帰を目前に異国の土と化し、戦後、サルミから生還し得たのは八名であった。


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