戦時下愛国婦人会の軍事後援活動(2)

(シリーズ 愛国婦人会C−4)




『愛国婦人』の1939(昭和13)年10月・11月第91号・第92号は資源愛護号とされ、そこには各支部での梅干し献納の記事が掲載され、翌月の『愛国婦人』第93号にも、梅干し献納の記事は続いている。

山形県下の会員に呼び掛けて集めた梅干は、13キロ入りで、ざっと500樽となり、現地に向け発送した。また山形県支部がかねて軍部から委嘱を受けて梅干を募集中だったが、米沢市の259貫を筆頭に、70町村から1,700貫の樽の山ができた。

梅干そのものの献納ではないが、群馬県支部前橋市第6分科会では、幹部600余りが貨車数台の梅を支部へ運んだ。

千葉県米沢村分会では、1938(昭和13)年会員から梅干を集めて、軍需品として売り、陸軍省に国防費として50円を献金した。

福井県小浜町分会では、梅干1斗樽240樽を集め戦地へ送った。岐阜県大垣市分会では、梅干200樽を送った。

愛知県支部では、名古屋各分会から数百樽、熱海分会から70余樽が集まった。1938(昭和13)年9月15日には、1斗樽2,100個を献納した。目下収集中のものも相当ある。

大阪府支部豊崎第3分会では、分区長の馬場みち以下役員30人が、乳母車を押して会員宅を回り、2日間で梅干1斗樽30樽を集めた。

香川県支部では20樽を海軍へ寄贈した。香川県善通寺分会では、各家庭に呼び掛けて年1回梅干しの寄付を受け、陸海軍に送っている。1940(昭和15)年には1斗樽50個の発送ができた。高知県高知市旭分会では、上等の梅の実で作った梅干を25樽を郷土部隊へ送った。

佐賀県支部では梅干4斗樽34個、2斗樽14個、1斗樽275個、計323個を、満州清水本部隊へ献納をした。

熊本市慶徳区分会では、明治節に戦地へ梅干しを送る運動を起こし、2石4斗の梅干しを熊本連隊区へ献納した。

会員2,500人余りの熊本市城東分会では、支那事変勃発以来毎年梅干しの製品を購入して献納してきたが、1940(昭和15)年は各班で分担して生梅を購入し、梅干しに仕上げて献納することになった。その動機は戦地に贈る梅干しには一つ一つ会員の気持ちを込めたい、買ったものは味が悪く、もちも悪い、本当の日本梅干しを作って贈らねば銃後の恥だという気持ちがあったからだという。梅干しの作り方と梅干しのありがたさを会員に体験してもらうこともできた。会員全部が各班に分かれて共同作製したことで、団体作業の訓練にもなった。梅干し作りの過程は次のようである。生梅は1升32銭だが、これは全会員の希望寄付によった。6月7日に生梅4斗を購入し、洗って4合塩で大瓶に漬け込み、7月2日に紫蘇を2貫匁を買って塩もみして漬け込み、7月20日より3日間土用干しにし樽に漬け込み、7月29日午前中に各班のものを分会に集めた。城東分会作成の梅干1千百樽は8月1日完成し、献納された。

台中州竹山郡分会では、1939(昭和14)年6月、郷土部隊慰問として、梅干1,800斤(50樽、855円相当)を献納した。

梅干の他にも、宮城県支部遠田郡嶽村分会では、味噌1斗樽入り22樽、軍用大麦4斗入31俵を陸軍へ送っている。

1939(昭和14)年5月、台北州の羅東郡分会では、特産の筍2,300斤を、陸軍病院に寄付した。


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