英語が喋れないチャリおっちゃんの旅




今回のチャリ旅に至った経緯などについて触れておきたいと思う。平成17年、57歳の秋に生命保険会社から折り畳み式の小さな自転車を貰い、休みの日には自宅近くにあるサイクリング道をブラブラと走るようになった。子どもの時に乗って以来の自転車。結構気持ちが良く、おにぎりをポーチバックに入れて、徐々に遠乗りするようになり往復で50`bぐらい走ると一日楽しめた。そのうち、欲が出て本格的に走りたくなりクロスバイクを購入し日帰りで遠乗りしたり、時には1泊して片道100`bぐらいを走った。

長いサラリーマン生活を終えて、やれやれと家でのんびりは性に合わない。人生は一度きり、後戻りが出来ない。仕事優先でしたくてもできなかったことを、まだ身体が動く間にチャレンジしたい、そして日々の生活を楽しみたい。

平成20年に定年退職し四ツ谷の、ある企画制作プロダクションに勤務。夢はどんどん膨らみ、半島一周のチャリ旅をしようと房総半島、伊豆半島、下北半島等を走るようになった。

そんななか、伊豆半島一周は酷い目に遭った。その前年には房総半島を2泊3日で走った経験で、軽く考えていた。車で伊豆長岡温泉まで行き、快適なチャリ旅を想像してワクワクしながらスタート。県道19号線の宇佐美大仁道路を走り伊東へ抜けて、伊豆半島の東側からまわるコースを設定。

しばらく走ると登り坂。その登りは延々と続き海抜500bぐらいの峠越えとなった。やっと峠を越え快適に走り下り伊東に到着。ここからはもう海沿いで楽ちんコースと思い込んでいたのが、大きな間違い。結局、半島を一周している国道はず〜っとアップダウンの連続。しかも、下りの時にはもう登り坂が前方に見えている。伊豆半島一周は簡単に考えていたが、とんでもないことになった。この時学んだのは計画を立案するときはルートの地形、特にアップダウンの下調べをしておくこと。

地図をにらめっこしながら今度はどこを走ろうかいろいろ計画を立てるのが楽しくなり、只見線沿いに奥只見、諏訪湖から豊橋までの伊那谷、富士山麓一周などのチャリ旅を楽しんだ。

欲は更に膨らみ、もっと軽く早く走れる自転車が欲しくなり、ロードバイクを購入。そして、能登半島一周後、平成23年は千葉の自宅から京都府北部の実家まで約750`bを7泊8日で東海道を走った。

先ず、海抜0bの小田原から874bまで一気に駆け上がる箱根の峠越えコース。箱根駅伝の選手にはタダタダ脱帽。登り坂は延々と続き、途中からは手押しででやっとこさで874bの峠到着。暫く下ると次なる峠発見。これが第2の峠と踏ん張り何とかクリア。それで、無事芦ノ湖畔に到着。予定よりも早めに着いた。

「やったぁ〜! ついにやりました、天下の箱根峠越え」と叫びつつ、腹こしらえに雰囲気のいい店で気分良くランチ。

店のおばちゃん曰く、「ここまでくれば後は下りだけだから、楽ちんヨ〜」と言うので、「ありがとう、さぁ〜出発!」

ところが、「ん?」下りがない。ど〜したんだろうと思っていると、なんだか登りの雰囲気。「なんだこりゃ〜。え〜え〜〜! 登りだぁ〜〜!」行けども漕げども登り、やっここさで登り切り、第2の箱根峠がこれであることに気が付いた。

静岡の清水の手前辺りから、台風の影響で雨がぱらつき始めたので、レインウエアーにレイン用シューズカバーを着け雨対策を万全にした。しかし、土砂降りとなったために雨対策は何の役にも立たなかった。特に、靴の中は雨が入り込みびしょびしょ状態。この経験から、靴の雨対策はサンダルがベストと気が付いた。

名古屋を出発して、天下分け目の関ヶ原を越えて彦根まで約110`b。朝から台風で大雨、ハーヒィーハーヒィーと漕いで漕いで漕ぎまくり関ヶ原に突入。辺りに人家もなにもないところで、『パシュ!』

「あ〜〜っ! パンクだぁ〜!」近くの小屋で雨宿りしつつ、予備のチューブに交換、と言っても慣れない作業で1時間半ほど掛けてやっと完了。

「さぁ〜出発〜! 」と2〜3bほど進むと後方から、『パァ〜ン!』と気持ち悪い音が。ななななんと交換したばかりのチューブがまたまた破裂。

「グゥエ〜〜! どどどどどないしょ!」予備のチューブはなく、修理をすることに。またまた1時間半程掛かり、やっと出発できることに。

必ずパンクはするとの前提で、修理の練習をしておくべきだった。練習さえしておけば、30分もあれば簡単に直すことができる。しかし、その練習を怠っていたので、雨降りのなか夕方近くにパンクしてしまい焦りまくった。 このようなチャリ旅の話を取引先でしていたところ、ある人が「それなら、まだ体力のある内にツールド・フランスを走れば・・・」と冗談を言った。

2年ほど前に、山登りの先輩であり国内外1人旅の達人である斉藤圭司氏から「はじめての海外1人旅なら最初はスイスがいいよ」と言い、「1人で不安ならチューリッヒまで一緒に行き、そこで別れてまたチューリッヒで合流して一緒に帰国する」と言うのはどうだい。と提案していただいたが、その時「とんでもない、言葉がまるで出来ないのに、1人で行動するなんてことは考えられない、とても無理・無理・無理」と断っていた。

しかし、確かに今のうちに海外を走らないと一生走るチャンスがなくなる。との思いに至った。言葉が全くできないことは、よくよく考えると日本に観光で来日している外国人で日本語ができる人はほとんどいない。また外国人から英語で話しかけられたら、しっかり答えることが出来る日本人は、そんなに多くはない。なのに彼らは日本観光を楽しんでいる。

私が海外に旅したら、旅人の私と日本に旅している外国人は結局、同じではないかと。それなら、当たって砕けろ精神の強い気持ちさえあればなんとかなるかもしれない。との思いに至った。よ〜し、これだ! この気持ちさえあればなんとかなる。歳はとっても、とにかく夢を持たなくちゃと。

平成23年の冬にニュージーランドのサザンアルプスのトレッキングツアーに参加した時、現地のクライストチャーチの空港が集合場所で、そこまでは単独で行かなければならなかった。シンガポールで乗り換えて行かなければならず、不安だったが無事に行くことができたことも気持ちを後押した。

このような考えや経験を経た後にいよいよ具体的な計画に着手した。体験者の本がないかと探すと、「定年欧州自転車旅行」上林三郎著(連合出版刊)、「ドイツ自転車旅行を楽しむ」小柳津厚尚著(連合出版刊)を見つけた。 その中で、特に参考になったのは、上林三郎氏のストックホルムから西南のドイツ・オランダ方面に走りアゲインストの風で大変に苦労した。との一文であった。ヨーロッパ大陸の風は西から東に吹いている。風のことは全く頭になかったが、偏西風の存在に気が付きコース設定には大変に参考になった。

次に、最も重要な言葉。英語は中学から10年ほど勉強したにも関わらず、情けないかな全くダメでお手上げ状態だった。特に社会人になると、英語を必要とせず定年まで無事過ごすことができた。たまに英語が必要になりそうなときは避けてきた。こんなレベルだったので、少しでも勉強しておいた方がましだろうと、通勤の往復時間約3時間を活用してリスニング英語の勉強を始めた。若い時に始めると上達は早いと思うが、なんせ63歳からのスタートのためになかなか身に着かない。やらないよりはマシ程度に過ぎなかったが、英語に対する拒絶感が薄らいだのは成果であった。

そして予算、出来るだけお金を掛けないで旅をすることが、テーマでもあったので宿はユースホステルを中心にした。「ヨーロッパ3千円の宿」というヨーロッパ・ユースホステルガイドを参考にした。(財)日本ユースホステル協会が発行している。このガイドブックに掲載されているユースホステルにほぼ半分ぐらい宿泊した。しかし、ガイドブックに掲載されていないユースホステルも沢山あることをスウェーデンのユースホステルで初めて知った。

初めての海外1人旅のため、治安が良く安全度の高い国を選択したが念のために治安状況をもっと詳しく調べて置くと、のちのち役に立ったと思うが私はそこまで気が回らなかった。政治、経済が安定している国でも、ユーロ加盟国であるが故の社会・経済問題があることを現地で体験することになったが、後の祭りであった。主な事前対策内容は次の6点である。

@できるだけアップダウンの少ないコース設定を
A風の向きや地形を考えたコース設定を
B雨対策を
Cパンク修理の事前練習を
Dやらないよりやった方が良いリスニング英語を
E良く使うであろう訪問国の言葉集の作成を

こんな程度の準備でチャリ旅をスタートすることにした。いろんなアクシデントやトラブルに遭いながらも、当初の計画通り最後まで走りきった悪戦苦闘の抱腹絶倒振りや思わぬ出来事をイラストを交えながらコミカルタッチの日記風にまとめた。そして、日々の支出内容と本文に書かなかったことを一言コメントとして記した。また、その時々の雰囲気を分かり易くするために写真も多数掲載した。



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