愛国婦人会C−1

(戦時体制下の愛国婦人会)




『愛国婦人会四十年史』は、愛国婦人会の正史と言えるものであるが、そこでは次のように説明されている。1937(昭和12)年初等以来、盧溝橋事件発端までに57回もの紛争事件が起こっていた。盧溝橋事件においてすら日本は不拡大の方針で処理しようとしたが、7月には中国側が日本軍を攻撃した。通州では日本人居留民の虐殺などの不法な攻撃が北支各地で起こり、中支でも同様の事件が続発した。8月9日上海で大山海軍大尉が殺された事件によって、大日本帝国は不拡大方針を放棄して、全面戦争を決意することになった。つまりこの戦争突入の原因は日本にあるのではなく、中国の国民政府にあるというのである。そして中国の国民政府は自国の実力を過信し、多年にわたって日本を侮蔑し、排日教育を徹底し、ソ連やイギリスの後援を受けてきたことが、この戦争の原因だという。

たしかに1936(昭和11)年春ごろから中国政府は対日防備の軍事施設を各地に作り始めていた。1932(昭和7)年5月に締結された上海停戦協定で禁止された区域内にも軍事施設を建て、保安隊の人数も増やしていた。また日本の施設が多い山東省に対日軍事施設を準備し、5個師団をおくようにもなっていた。このような状況下で盧溝橋事件は起った。

1937(昭和12)年6月に組閣された第一次近衛内閣は、はじめ戦争の不拡大方針を採っていたが、結局戦争は拡大していった。1937(昭和12)年8月15日、日本政府は南京政府の反省を促す宣言をした。


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