大落伍の時代




世界は政略結婚である。人間の知恵と渇望がなければならない。世界に呼び掛けて見る。反応はあったろうか。人間の粗末に身を包み、人間の得体の知れない反応を見る。見るに、見兼ねて、知恵を出す。出された知恵は紙幣だったのだ。世界は金を解禁し、女、子供を解放した。まだ、自由を虐げているような国は、発展の途上である。清楚に身を包み、穢れを棄てたのさ。世界は動いている。日蝕と月蝕を繰り返し、人間の判断は野放しである。知恵が解放したのだ。そのことは罪ではない。寧ろ、認識の途上に昇り、人間の頂きを見た。美とも受け取れるし、悪とも取れる。美なら褒美を遣ろう。悪ならなおざりだ。彼らは山に昇り、ロバを跨いで罪をロバに着せている。彼らは山の袂で、分かち合った青春を飯盒で賑わしている。彼らとは闘いだ。陶酔の話となると、天から橋が延び、天の橋立だが、まだ種が育っていない。種を見付けた種族か、拾った貴族が種を優先した。だから戦争が勃発した。起きた戦争は、人間のロバだったのだ。人間のロバともなると、紙幣は質素に扱われ、代わりに水害だ。運が無かったとしか考えられない。代わりに羊毛だ。運は浚われたのだ。代わりに芋虫だ。運はあったが、人間にでは無かった。人間に、神は二物を与え無かった。神は代わりの物を与えた。優しさと愛情だ。鬼達は勇気が足りない。まだ、世界を知らない。鬼達の角は、一人前に伸びた。女の子に悪さをしたろう。子孫は栄え繁栄し、人間の糸屑へと代わった。野麦から鵯が出て悪さする。雲雀は天に舞い散った。それが金さ。金さえ見付からず、雲雀は転々とした。駅の賑わいは栄え、街は繁栄した。繁栄した代わりに、悪事は天下を唸らし、本当の悪を怒らせてしまった。それが優しさではない、人間の角だ。悪ではない、人間の用だ。暴力という角だ。人間の角だから鬼らに用はない。その角が摩耶かしである。呼称した卑弥呼だ。卑弥呼は邪馬台国であるよ。しかし、実際は違う。卑弥呼など何処にも居なく、鬼の作り話である。しかし、信用を得る為に歴史に登場した。歴史上の人物は、常に自分の城を持ち、家臣と共にある。それはさて置き、人間は独りだ。独りで何でも造って行かねばならない。歴史から学んだ人間は、歴史に埋没される。歴史に学んだ人間は、歴史を紐解く。しかし、内容はない。歴史に内容はないんじゃない。意味を付けたのが天使だ。つまり、名誉も地位もない人間を登場させた。地位も名誉もない人間の墓場だ。それが歴史認識というものだ。



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