「問い」が「学ぶ力」を鍛える

- 「問い」作りからはじまる新しい授業研究 -




データ

編者名 作品の分類 ページ数
武田忠 教育学 194

ISBN 書籍サイズ 定価(税込・円)
978-4-86420-157-5 電子本(A5) 540

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概要
日本の教育は、いま多くの困難に直面しつつある。学習意欲や学力の低下、いじめ、不登校、非行など、どれを一つ取り上げても、根の深い問題であり、一筋縄では対処しえない深刻さをかかえている。しかし、なんとしてもこの泥沼から抜け出すことのできる活路を、早急に見い出さなければならない。その思いは、教育関係者だけでなく、多くの人々の共通の思いであり、また願いでもあるといっていいであろう。それでは、その活路は、いったいどこに見い出すことができるであろうか。

その活路となることを目指して、ここ十数年来、これまでの「教える」こと中心の教育から、児童、生徒が「自ら学び自ら考える」教育へと、「教育の基調」を転換していく必要性が叫ばれてきた。これまでの教育からすれば、根本的ともいうべきこの方向転換は、大いに歓迎すべきものだととしても、その教育の転換の実質は、十数年たっていまだに何一つ作り出されていない。それどころか、その改革の端緒さえ定かになっていない。戦後の五十年の歴史の中で、「教える」教育は、揺るぎないほどしっかりと学校教育に根を下ろしてしまっている。その教育の潮流は明治以来のものであるが、その教育がもたらした長年の弊害は、新たな教育への転換を目指そうとするとき、巨大な壁として改革の行く手に立ちはだかっている。

その「自ら学び自ら考える」教育への転換にとって、最大の障害ともいうべきものは、いったいなんであろうか。それはなによりも、「教科書」を教師が教え、それを児童生徒が忠実に学ぶという学習パターンが定着したことをとおして、児童生徒はもとより、教師も、なにが真実かを追究するために、ほとんど「考える」ということを止めてしまったことにこそあると考える。後で詳しく述べるように、「考える」ためには「問い」が不可欠であるが、「考える」ことを止めたということは、とりも直さず「問う」ことを止めたということにほかならない。

「問う」ことと、そこから「考える」ことを止めたということは、物事を学ぶことにおいて、なにが真実かを、自分の頭で主体的に判断することを、基本的に放棄したということにほかならない。この「問い」と「考える」学び方の放棄は、本来そこから産み出されくるはずの多くの個人的、社会的な精神的財産に、どれほど大きな損失を与え続けてきたか計り知れないものがある。これはけっして誇張ではい。

ところで、これまでの「教える」こと中心、「問い」「考える」教育の放棄の責任は、一体誰にあるのだろうか。責任はこれまでの文部行政のあやまりにこそあると言いたいところだが、それで片付けて済む問題ではないであろう。その責任は、これまでの「教える」こと中心の教育と、知識の量を競うだけのテスト、受験体制に、さして疑問をさし挟むこともなく、なにが真実かを自ら「問い」「考える」ことの大事さを忘れてきた、私たち大人にこそあると考えるべきではないだろうか。

いま日本の教育が直面している困難な課題は、すべて私たち大人の知性の反映にほかならない。目の前にある課題は、子もたちの課題である前に、私たち大人の課題そのものなのではないだろうか。その自覚なくして、これからの日本の教育に責任を持つ主体、さらには日本の社会変革の担い手として主体の形成は、どこにも求めようがないように思うが、どうであろうか。

それでは、私たち大人が変わることができるためには、なにが最も必要なことであろうか。それには、まず私たち大人こそが、教えられたことを「おぼえる」こと中心の学び方から「自ら学び自ら考える」学び方へと、自分の「学び方」を変えていく必要性の自覚、それこそがなによりも重要なことではないだろうか。しかし、これまでの学校教育では、本来当然行われてしかるべき「自ら学び自ら考る」学び方が長い間欠落し、教師に教えられて学ぶことが「勉強」のすべてともいうべき学習観が、教育関係者だけでなく、私たち大人にも強力に染み込んでしまっいる。ここから抜け出して、今あらためて「自ら学び自ら考える」新しい「学び方」を身につけ、それを定着させていくことは、まさにただ事ではない。

その困難を可能にするものは、いったいなんであろうか。それには、これまでの「おぼえる」こと中心の教育の中で、私たちがどれほど貴重なものを失ってきたかの自覚を明確にし、それが教育者だけでなく、広く社会的に共有されていくことがまず必要なことだと考える。その上で、「自ら学び自ら考える」学び方のためには、「問い」がいかに不可欠であるかが共通の理解となって、それが私たちの日常の学び方の「基礎・基本」に据えられていくこと、それ以外には、いま日本の教育が教育が変わっていくことのできる可能性はどこにもないのではないかと考える。



目次
はじめに


Ⅰ 「問い」を忘れた日本の学校教育


Ⅱ 確かな「理解」になぜ「問い」が必要か


Ⅲ 「問い」が「学ぶ力」をきたえる


Ⅳ 日本語の理解を深めよう


Ⅴ 「問い」作りのための導入学習の試み


Ⅵ 教科書から「確かめたいこと」が生まれるとき


Ⅶ 教科書の疑問から「困難な課題」への挑戦の試み


Ⅷ 「問い」が導く「体の知恵」の発見


終章 生涯にわたって「学びつづける力」には何が問われているか


参考文献



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